私の心臓が
無意識に寝ているときも動き続けてきたのは、
私の意思ではありません。
人知を超えた自然法則が
僕をこれまでひとときも見放さなかったからです。

すでに、そうなのです。感謝なのです。

幸せとはなるものではなく、
今の自分自身に、この瞬間に見出すものです。

私の活動は、この幸せを、喜びを
ただこの瞬間を、ぶちまけているのです。

幸せの青い鳥は常に内在しています。

だから僕のダイアリーは感謝を込めた青色なのです。

怖かったね

2015年6月22日 エッセイ
人間関係に疲れたときに自分自身にかける言葉

怖かったね
よくがんばったね
大丈夫だよ
怖がらなくていいよ
きっと誰か助けてくれるよ

人人悉道器

2015年6月21日 エッセイ
人人悉道器
にんにんことごとくどうきなり。

出来ないかどうかはやってみないとわからない。


にんにんにんじゃりばんばん。

お弁当
娘が幼稚園に行き出して、弁当が始まった。

親は外に出た子供たちを直接的には守れない。
応援するすべは弁当ぐらいなもんだ。

「がんばれ!!」

妻は専業主婦で。
でも家事のほかに、色々とボランティアとかやってて。
何かと忙しい毎日だけれど、弁当は楽しそうに作ってる。


私の母も、そんな気持ちで作ってくれてたんだろうな。
母子家庭で働きながら育ててくれたから
金も時間もなかっただろうけど、毎日弁当作ってくれたよ。
もちろん「手の込んだ」とは言えないけど、栄養バランス考えてくれてたなぁ。

よく缶詰の「さんまのカバ焼き」が丸々ぶち込まれてて、
その汁が弁当箱から漏れて、カバンの中がカバ焼き汁で臭かったりしたなぁ。

でも、ぜんぜん嫌じゃなかったよ。いや、少し嫌だったかもしれんけどw
忙しい中作ってくれてるって、子供ながらにどっかでわかってたから。


うまかったよ。


色々と思い出したよ。。。ありがとう。

感謝はするもんじゃなく、気づいた際に、にじみ出てくるもんなんだな。



冷暖自知

2015年6月14日 エッセイ
冷暖自知
やってみろ。

傲慢な人

2015年6月9日 エッセイ
自分が正しいという傲慢な自分を、その人を通して見てるだけ。
何の根拠もなく、
何の実績もなく、
ただそれだけでいいらしい。

なるほどね。
以下は、ある先生の話。

完璧な人間など誰もいない。
完璧でなくても、ダメ人間というわけではない。
他人の考えや行動を変えることはできない。自分は自分のできることをするだけだ。


性格とは、いってみれば自分の持ち味のようなものです。
それを否定しては持ち味が活かされません。

あなたは口数が少ないことを、人付き合いにおいて、マイナス要因と捉えているようです。
しかし、これを反対側、つまりプラスの側面から見るとどうでしょうか。
穏やか、人の話をよく聞く、相手に合わせることができる、慎み深い

このように、見方を変えれば、短所は長所に変わるのです。

個性はその人の魅力です。
自分をつまらない人間などと思わず、
あなたのよい面をたくさん見つけてください。
つかれてるときは、いい考えも浮かばんから、
ゆっくり休みぃ。
上機嫌でいることさえ忘れんかったら、それでいいわ。
考えたって仕方ないこともあるし、あとはそっからついてくるわ。


by 妻
人を相手とせず天を相手とせよ。
天を相手として己を尽くし、
人をとがめず、我が誠の足らざることを尋ぬべし。

西郷隆盛

リーダーとは

2014年10月13日 エッセイ
リーダーとは
リーダーとは
リーダーとは
みんなのリーダーだなんて言ったって・・・

私は役になんて立っていないのかもしれない。

ただ褒められたいだけ、認められたいだけなのかもしれない。

勝手なことをして、皆に迷惑をかけつづけているだけなのかもしれない。

結局はエゴでしかない。

完璧じゃない。


でも・・・


それでも、迷ったり落ち込んだりしてる場合じゃない。

そうやって皆を引っ張っていくしかない。

なぜなら、引っ張「られてくれる」人がいるのだから。

だから私はどこまでも前を向いて頑張るよ!!



だから・・・みんながいるから・・・私は無敵なんだ!!

・・・この胸に愛がある限り・・・

このキュアラブリーは・・・無敵なんだからっ!!!


以上、ハピネスチャージプリキュア第30話より学んだことをまとめました。
嫌な奴を想像してください。
その嫌な奴とは自分の利益ばかり考えている人ではありませんか?

あの人はいい人だ、立派な人だと思う人を想像してください。
それは他人のために何かしらの行動・活動を行なっている人ですよね。

魅力とはそういうことなのです。

努力でどんな技能をみがいても、
自分の魅力を磨く努力をしないのなら
他の努力はすべて水泡と帰すのです。

なぜなら、技能とは手段であり、
「道具」にすぎないからです。

大事なのは、その道具を使う人間の
人間力なのです。

今日の自分は

昨日の自分と同じではない。

自然物には一瞬たりとも同じ時間など訪れないのだから。

努力できる日々を、楽しもう。

どんなときでも、相手から学ぼう。

今日という日を、また与えられた。

そのことを感謝しよう。

TVでスティーブジョブズの話を見た。
何回も特集されてきただろうけどね。
今回のは、よくまとまっていて見やすかった。

その中で、
「やりたいことを5つにしぼれ
 他は切り捨てろ、それが経営者だ!!」
みたいな言葉が出てきてた気がする。

まあ、私は経営者ではないですが、
自分の人生の経営者として、5つを考えてみる。

1.娘、嫁の幸せを願い、応援する。
2.仕事
3.奉仕活動
4.労働組合活動
5.今の部下の幸せを願い、応援する。

かな・・・。
「ゲーム作成」的な目標がないですが、
仕事が、それにつながってる気がしないでもない。
とりあえず現状はこんな心境です。

奉仕活動については具体的には言わないけど
無償でやってる活動があったりする。
(内容を自慢したら奉仕じゃなくなる気がするしなぁ。)

しかし、金を貰わないでやるっていうことは
結構得るものがあったりする。

昔から、スポーツでもゲームでもニコ生でも、
「観るより、やるほうが好きなんだよね。」
なんて言い続けてきたわけですけれども。

応援する

って、

すごい事なんだなってね。
最近、ようやく気がついたのです。

人によくなってほしい
負けないでほしい
よろこんでほしい
それが私のよろこびでもあるのだから...


ってことですよね。

人の幸せを願い、
人のかなしみを共に涙し分かち合う

ってことですよね。

あれ、、、これって、、、

たしか静ちゃんのお父さんが
のび太君のことを、
こんな風に評価してましたよね。


あぁ、、、そうか、、、、、


つまり、あれですよね。。。



応援するって、のび太君ってことですよね!!!
(違)
もっと欲望に走った主義主張はないんですか。
はい。そうですね。
ですが、人は一人で生きているわけではなく、周りの人と共に生きています。
ですので、周囲の事をかえりみず、
ただひたすらに自分の欲望ばかりを追求し、自分を押し通し続けると、
周囲との関係が上手く行かず、孤立し、
孤立してしまうと、自分を生かすことさえもままならず、
結局は自分の欲望を達成できないということに、気がつくのです。

「私は孤立したい、独りでいたい」というかもしれませんが、
パソコンやコンビニなども人の手によって作られているわけで、
私たち現代人の身の回りには
食事、食材、ガス、水道、電気…何一つ人の手のかかっていないものなどないのです。
真に孤立してしまうと、いよいよあなたの独りでいたいという目標は達成できないということに、気がつくでしょう。

周囲と上手くやっていく方法を
人は今も昔も不器用に追い求めているのですよ。
自分の欲望を達成するためにね。
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幸福への道
http://58391.diarynote.jp/201408171654018782/
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脳の疲れを取り、幸せ感を生むオキシトシン。

「人に親切にする」と、
このオキシトシンが脳内にガンガン分泌されるということが、
最近の研究で、わかってきたそうだ。


情けは人の為ではなく、回りまわって自分の為なのだ。

という事が、科学的・医学的に証明された。


また、この幸せホルモンは
居酒屋で飲んだり、お茶したりするという行為でも分泌される。
グルーミングというらしい。

たまに開く飲み会。
ある程度リラックスできるような会であれば、
肩を寄せ合うだけで、オキシトシンを生み、日々の疲れを癒す効果がある。



周り、周囲、環境があってこそ、自分がその地に足をつけれるわけです。

力任せに周囲の人を打倒し、
威張り散らして、人を遠ざけても、

そこに残る地はなし。立脚ならず。

そんな方法ではリーダーにはなれない。

環境があって初めて、自分がある。

力があるなら、まず環境を救うこと。

それが唯一活きる道。

抑圧する側も解放されなくてはならない。
かつてネルソンマンデラさんという方が、
黒人の反アパルトヘイト運動で
国家反逆罪として27年間投獄されました。
その後この人は大統領になられたのですけれども。

27年間です。

人間の本性からすれば
「やり返したい、言い返したいこと」が沢山ありそうなものですが、
この人は「許す」ことに価値を見出しました。

抑圧された人々が解放されなければならないのと同じに、
抑圧する側も解放されなくてはならない。

他人の自由を奪うものは、憎悪の囚人であり、
偏見と小心さの檻に閉じ込められている。

つまり、私がもし誰かの自由を奪ったとしたら、
自分の自由が奪われたときと同じように、私は真から自由ではないのだ。

抑圧される側も抑圧する側も、
人間性を奪われている点では変わりない。


私のような人間は、
ネルソンマンデラさんのようには到底なれませんけれども、
それでもほんの少しでも、その精神を身につけられたらと思うのです。
人と違う私

なかなか理解してもらえない私

得体のしれない私

「おまえ、変な奴だな」って言われたら

間違いなく、その通りなんだけど。

でも、みんな、実はそう。

みんな、変な奴だと言われれば変な奴なのよ。

そんなもんなんだよ。

 

だから、そんなに卑下することはない。

笑われたって堂々としてればいいんだよ。

そんなに卑下することはないよ。

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