最近、有り得ない理由で、
傷害や殺人事件が起きますし、
そのように報道されていますね。
30代ですね。
バブル世代のツケを背負わされて安月給。
やりきれなくて退職。無職。
親世代からは親世代と同等の生活水準を求められ
当然そんなことは不可能。下げずまれる。
下からは「ゆとり世代」が上がってくる。
上下関係もマナーもまるでわかってない、
過保護に育てられた、こちらもまた時代の犠牲者。
ゆとりと称するも自由は与えられず迷走し、
ついには考える事をやめて、
自分の利益第一での物言いが出来てしまう世代が上がってくる。
はさまれた30代は行き所のない怒りを爆発させているのだろうが・・・
それは到底、理解されるような理由や、行為ではなく、
深刻な迷惑もかけるが・・・しかしそれをも承知で、
僕らの世代はそれでも感情を爆発させてしまうしかなく。
「もう、どうなってもいい。」というのが・・・動機。
暗黒未曾有の消極さ・・・消極的動機・・・・。
社会が
悲鳴をあげている。
気づき、思いやり、ゆずりあいで成り立ってきた日本という社会で
やりたい放題やってきた世代と、
あきらめてしまった世代の狭間で
つぶされた心。
それでも・・・・
耐えてくれ
諸君・・・・
滅私せよ。
今こそ・・・滅私せよ。
耐えてくれ・・・我ら30代。
たとえ国家のギアになろうとも
時代の轢となろうとも・・・。
アスファルトの歩道に咲く雑草花のように
踏みにじられても・・・・
小さな花を咲かせましょうよ。
いつか気づいて笑顔になってくれるその人が現れるまで。
ただそれだけのため。
こんな時代でも、それでも人様に
喜んでもらいましょうよ。
お願い致します。
傷害や殺人事件が起きますし、
そのように報道されていますね。
30代ですね。
バブル世代のツケを背負わされて安月給。
やりきれなくて退職。無職。
親世代からは親世代と同等の生活水準を求められ
当然そんなことは不可能。下げずまれる。
下からは「ゆとり世代」が上がってくる。
上下関係もマナーもまるでわかってない、
過保護に育てられた、こちらもまた時代の犠牲者。
ゆとりと称するも自由は与えられず迷走し、
ついには考える事をやめて、
自分の利益第一での物言いが出来てしまう世代が上がってくる。
はさまれた30代は行き所のない怒りを爆発させているのだろうが・・・
それは到底、理解されるような理由や、行為ではなく、
深刻な迷惑もかけるが・・・しかしそれをも承知で、
僕らの世代はそれでも感情を爆発させてしまうしかなく。
「もう、どうなってもいい。」というのが・・・動機。
暗黒未曾有の消極さ・・・消極的動機・・・・。
社会が
悲鳴をあげている。
気づき、思いやり、ゆずりあいで成り立ってきた日本という社会で
やりたい放題やってきた世代と、
あきらめてしまった世代の狭間で
つぶされた心。
それでも・・・・
耐えてくれ
諸君・・・・
滅私せよ。
今こそ・・・滅私せよ。
耐えてくれ・・・我ら30代。
たとえ国家のギアになろうとも
時代の轢となろうとも・・・。
アスファルトの歩道に咲く雑草花のように
踏みにじられても・・・・
小さな花を咲かせましょうよ。
いつか気づいて笑顔になってくれるその人が現れるまで。
ただそれだけのため。
こんな時代でも、それでも人様に
喜んでもらいましょうよ。
お願い致します。
若い子に仕事を教えることがある。
そんなとき、こちらが10言ったら
7ぐらいわかってくれたら十分だ。
しかし
10言って3ぐらいしか分っていないのに、
分かったふりをして、
自信たっぷり、負けん気タンマリで我が道を進み、
結果、全然違うことをやっちゃう子がいる。
まあ自分でやって壁にぶち当たりまくるっていう成長の仕方も悪くない。
そういう子に出くわしても
私も最近は黙って見守っていることが多い。
25~7歳ぐらいで中途採用でIT業界入ってきましたーって人は
まあ、この3道君が実に多いなぁ。
しかしまぁ。
「わかってない」からこそ
この「わからない」ということ自体を恐怖に感じているからこそ
我が道を突っ走ってしまうんだろうなぁってね。
そういう側面ってね、あるだろうね。
それでなくとも
「人の話を聞く」というのは
自分のわがままを抑えなくてはいけなくて、
なかなか難しいことだ。
我を通したいけど、経験不足。
そういう20代後半には
ひたすらに壁にぶち当たらせてあげたほうが
いいのかもしれないと。
その子の焦る心を根こそぎ平らにしてやろうと要らぬお節介で厳しく否定するよりも、
その子のあがいている心を聞くことこそが大事だなぁってね。
聞かなければいけないのは私のほうなんだなってね。
思うわけですよ。
声なき声を聞くことで
そのことで私もまた自分自身を省みて、
私がまた、今よりも人の気持ちを感じ取っていけるように、
私も今よりもどんどん人の話を聞けるようになっていけるんだろうなとね。
そういう経験。
教えさせていただくことによって教えられる事が沢山あるのだなと。
そういう、ありがたい導きなのだと感じる。
そんなとき、こちらが10言ったら
7ぐらいわかってくれたら十分だ。
しかし
10言って3ぐらいしか分っていないのに、
分かったふりをして、
自信たっぷり、負けん気タンマリで我が道を進み、
結果、全然違うことをやっちゃう子がいる。
まあ自分でやって壁にぶち当たりまくるっていう成長の仕方も悪くない。
そういう子に出くわしても
私も最近は黙って見守っていることが多い。
25~7歳ぐらいで中途採用でIT業界入ってきましたーって人は
まあ、この3道君が実に多いなぁ。
しかしまぁ。
「わかってない」からこそ
この「わからない」ということ自体を恐怖に感じているからこそ
我が道を突っ走ってしまうんだろうなぁってね。
そういう側面ってね、あるだろうね。
それでなくとも
「人の話を聞く」というのは
自分のわがままを抑えなくてはいけなくて、
なかなか難しいことだ。
我を通したいけど、経験不足。
そういう20代後半には
ひたすらに壁にぶち当たらせてあげたほうが
いいのかもしれないと。
その子の焦る心を根こそぎ平らにしてやろうと要らぬお節介で厳しく否定するよりも、
その子のあがいている心を聞くことこそが大事だなぁってね。
聞かなければいけないのは私のほうなんだなってね。
思うわけですよ。
声なき声を聞くことで
そのことで私もまた自分自身を省みて、
私がまた、今よりも人の気持ちを感じ取っていけるように、
私も今よりもどんどん人の話を聞けるようになっていけるんだろうなとね。
そういう経験。
教えさせていただくことによって教えられる事が沢山あるのだなと。
そういう、ありがたい導きなのだと感じる。
不幸せになりたい人たち
2014年2月16日 エッセイ コメント (2)「幸せになりたい」と言い、
「あー、なぜ自分はこうも不幸なのだろう」と嘆きながらも
しかし
こうすれば幸せに少しずつ向かえるという場面になっても
何かと理由を探し出しては、理屈をつけて結局動かない。何もしない。
人の言葉や文章を「やれ啓蒙だ」「やれ自己啓発を他人に押し付けてる」などと
勝手に受け止めては批判し、自分の殻に籠るタイプ。
こういう人たちは結局、「不幸であり続けることを望んでいる」。
幸せに向かうその「変化」自体を恐れているからだ。
変わりたいならば、素直になること。
直感的に善いと思ったことは、やってみること。
それこそが肝要だ。
水への恐れを克服するために水泳を習うならば
まず水につからなければならない。
「あー、なぜ自分はこうも不幸なのだろう」と嘆きながらも
しかし
こうすれば幸せに少しずつ向かえるという場面になっても
何かと理由を探し出しては、理屈をつけて結局動かない。何もしない。
人の言葉や文章を「やれ啓蒙だ」「やれ自己啓発を他人に押し付けてる」などと
勝手に受け止めては批判し、自分の殻に籠るタイプ。
こういう人たちは結局、「不幸であり続けることを望んでいる」。
幸せに向かうその「変化」自体を恐れているからだ。
変わりたいならば、素直になること。
直感的に善いと思ったことは、やってみること。
それこそが肝要だ。
水への恐れを克服するために水泳を習うならば
まず水につからなければならない。
何が善い事かは、本当はわかっているはずだ。
2014年2月12日 エッセイ
原発がゼロのほうがいいのか、あったほうがいいのか。
韓国や中国を責め返すのがいいことなのか。
オトヒメ王妃がただしいか、正しくないか。
本当のことはわかってるだろ?
君らあれだろ?ワンピース見て育ったんだろ?
あの漫画には答えが書いてある。
君たちはホーディなのか?
韓国や中国を責め返すのがいいことなのか。
オトヒメ王妃がただしいか、正しくないか。
本当のことはわかってるだろ?
君らあれだろ?ワンピース見て育ったんだろ?
あの漫画には答えが書いてある。
君たちはホーディなのか?
・自転や公転
・太陽や星が光ってる事
・重力
それは
人間がそうあってほしいと願ったからそうなっているわけではない。
宇宙には
人間の意志とは無関係な法則がある。
それは神やら精神性やらではなく、
実に現実な、形而下において、
それは人智を超えた法則だ。
(本当はそれらこそを神といっているのだけれども、今は別にする。)
人間の知らないところで始まったこの「流れ」だが、
しかし、人間はあるいはそれを変更することが可能だ。
例えば、意図的に月の一部または全部を破壊したりすれば、
自転や公転に影響を及ぼし変化するだろう。
つまり
私たちは自然の法則を
人為的に不自然に変更することが可能なのである。
そして・・・
不自然に変更したら何が生まれるか。
無秩序であり、混沌である。
==============
大それたスケールで話をしてきたが、
身の周りにもそういうことは起きる。
例えば、「夜更し」。
太陽が昇り、沈む。
その流れにそった生活をしていない不自然。
必ずや心身のいずこかにヒズミ、無秩序、混沌を生じる。
病となる。
自然に沿った生き方が一番であり、本当はそれしかない。
けれども、人間は
いとも簡単に自然から外れてしまいがちなのだ。
私達は自然からむやみに外れることが可能だが、
私達は自然なくしては生きられない。
・太陽や星が光ってる事
・重力
それは
人間がそうあってほしいと願ったからそうなっているわけではない。
宇宙には
人間の意志とは無関係な法則がある。
それは神やら精神性やらではなく、
実に現実な、形而下において、
それは人智を超えた法則だ。
(本当はそれらこそを神といっているのだけれども、今は別にする。)
人間の知らないところで始まったこの「流れ」だが、
しかし、人間はあるいはそれを変更することが可能だ。
例えば、意図的に月の一部または全部を破壊したりすれば、
自転や公転に影響を及ぼし変化するだろう。
つまり
私たちは自然の法則を
人為的に不自然に変更することが可能なのである。
そして・・・
不自然に変更したら何が生まれるか。
無秩序であり、混沌である。
==============
大それたスケールで話をしてきたが、
身の周りにもそういうことは起きる。
例えば、「夜更し」。
太陽が昇り、沈む。
その流れにそった生活をしていない不自然。
必ずや心身のいずこかにヒズミ、無秩序、混沌を生じる。
病となる。
自然に沿った生き方が一番であり、本当はそれしかない。
けれども、人間は
いとも簡単に自然から外れてしまいがちなのだ。
私達は自然からむやみに外れることが可能だが、
私達は自然なくしては生きられない。
受け売りを
恥ずかしがったり、
責めたり
そういうのがありますがねぇ。
それって変じゃね?って思うのよ。
え?何が?って?
じゃぁ「受け売りじゃないものって何?」っていう話なんですよ。
おおよそ、人の考え方、文章、発想、なんて受け売りなんですよね。
生活、文化、食べるもの、私は○○が好きだ。嫌いだ。
すべてそれ受け売りですよ。
あなたが個性だなんて思ってるものすべては
所詮は真似事なんですよぉ?
自然や先人から、真似てあれとこれをミックスする、
それをオリジナルって呼びますよね?
結局はマネ事=受け売りのオンパレードなんですよー!
受け売りじゃないものなんて何一つないんですよ?
(※ 著作権侵害はまた別の要素がからんでくる事なので、そういう話ではありません。)
恥ずかしがったり、
責めたり
そういうのがありますがねぇ。
それって変じゃね?って思うのよ。
え?何が?って?
じゃぁ「受け売りじゃないものって何?」っていう話なんですよ。
おおよそ、人の考え方、文章、発想、なんて受け売りなんですよね。
生活、文化、食べるもの、私は○○が好きだ。嫌いだ。
すべてそれ受け売りですよ。
あなたが個性だなんて思ってるものすべては
所詮は真似事なんですよぉ?
自然や先人から、真似てあれとこれをミックスする、
それをオリジナルって呼びますよね?
結局はマネ事=受け売りのオンパレードなんですよー!
受け売りじゃないものなんて何一つないんですよ?
(※ 著作権侵害はまた別の要素がからんでくる事なので、そういう話ではありません。)
何かをして「くれる」から、
ありがたいのでしょうか。
何事も自分を中心に考えると、ろくなことがない。
私にとって
いいか、わるいか
快か、不快か
得か、損か
そういうものの捉え方を教え込まれてきた私達。
そんな価値観にこだわっているから
不足や空虚が生じて止まない。
私基準で物を考えることは
決して私を満たさない。
不幸になるのは明白だ。
ありがたいのでしょうか。
何事も自分を中心に考えると、ろくなことがない。
私にとって
いいか、わるいか
快か、不快か
得か、損か
そういうものの捉え方を教え込まれてきた私達。
そんな価値観にこだわっているから
不足や空虚が生じて止まない。
私基準で物を考えることは
決して私を満たさない。
不幸になるのは明白だ。
「感謝」
なんだかんだで最強な、この言葉。
これに勝るものはない。
スピーチでも、会話でも、文章でも
感謝の心を込めれば
しっかりとしたものになる。
感謝を述べることが出来るかどうかが大人の基準のような節もある。
つまりそれは
どれだけの感謝に「気づく」ことが出来るかということであるが・・・
================
「朝日」
朝日を見るとたまに
涙が出そうになる。
私を
照らしてくれて
温めてくれて
生かしてくれて
輝いてくれて
存在してくれて
本当にありがとうございます。
================
「妻」
妻を見るとたまに
涙が出そうになる。
私を
照らしてくれて
温めてくれて
生かしてくれて
輝いてくれて
存在してくれて
本当にありがとうございます。
================
「娘」
娘を見るとたまに
涙が出そうになる。
私を
照らしてくれて
温めてくれて
生かしてくれて
輝いてくれて
存在してくれて
本当にありがとうございます。
================
「あなた」
あなたを見るとたまに
涙が出そうになる。
私を
照らしてくれて
温めてくれて
生かしてくれて
輝いてくれて
存在してくれて
本当にありがとうございます。
すべてに。
なんだかんだで最強な、この言葉。
これに勝るものはない。
スピーチでも、会話でも、文章でも
感謝の心を込めれば
しっかりとしたものになる。
感謝を述べることが出来るかどうかが大人の基準のような節もある。
つまりそれは
どれだけの感謝に「気づく」ことが出来るかということであるが・・・
================
「朝日」
朝日を見るとたまに
涙が出そうになる。
私を
照らしてくれて
温めてくれて
生かしてくれて
輝いてくれて
存在してくれて
本当にありがとうございます。
================
「妻」
妻を見るとたまに
涙が出そうになる。
私を
照らしてくれて
温めてくれて
生かしてくれて
輝いてくれて
存在してくれて
本当にありがとうございます。
================
「娘」
娘を見るとたまに
涙が出そうになる。
私を
照らしてくれて
温めてくれて
生かしてくれて
輝いてくれて
存在してくれて
本当にありがとうございます。
================
「あなた」
あなたを見るとたまに
涙が出そうになる。
私を
照らしてくれて
温めてくれて
生かしてくれて
輝いてくれて
存在してくれて
本当にありがとうございます。
すべてに。
リフレクション その3
2014年2月4日 エッセイ コメント (7)怒り、悲しみ、不安、不足、不満、見下される、劣等感、恥、悔やむ、
緊張、孤独、嫌われてるかもしれない、恐怖
これらすべては
何かの事象や誰かの言動に対して
結局はそれを自分なりに受け止めた自分自身が
自分自身に対しておっぱじめる自己攻撃でしかないのだ。
とするならば・・・・
以前から私の述べている「リフレクション」こそが、
実は人間力の究極奥義の1つなのかもしれないという感覚を
私は持ち始めている。
================
リフレクションその1
http://58391.diarynote.jp/201401131450404511/
リフレクションその2
http://58391.diarynote.jp/201401152324362018/
================
リフレクションを無限に広げることこそが
「すべての隔たりを取り除く」ということなのかもしれない
という漠然とした予感がするのです。
-----------------------------------------
追記:
もし私が、聖人君主ならば
最初の2行に書かれた感情など「沸き起こりさえしない」のであって、
そういう意味ではリフレクションその2の結論が正しいのです。
しかし、私は聖人ではなく凡人であるのでやはりその3の結論へむかわざるを得なくなりました。
緊張、孤独、嫌われてるかもしれない、恐怖
これらすべては
何かの事象や誰かの言動に対して
結局はそれを自分なりに受け止めた自分自身が
自分自身に対しておっぱじめる自己攻撃でしかないのだ。
とするならば・・・・
以前から私の述べている「リフレクション」こそが、
実は人間力の究極奥義の1つなのかもしれないという感覚を
私は持ち始めている。
================
リフレクションその1
http://58391.diarynote.jp/201401131450404511/
リフレクションその2
http://58391.diarynote.jp/201401152324362018/
================
リフレクションを無限に広げることこそが
「すべての隔たりを取り除く」ということなのかもしれない
という漠然とした予感がするのです。
-----------------------------------------
追記:
もし私が、聖人君主ならば
最初の2行に書かれた感情など「沸き起こりさえしない」のであって、
そういう意味ではリフレクションその2の結論が正しいのです。
しかし、私は聖人ではなく凡人であるのでやはりその3の結論へむかわざるを得なくなりました。
自分の心の浄化をしたいなら
2014年2月2日 エッセイ コメント (3)自分の心を自分で浄化をするなんていう離れ業は非常に困難なことだ。
あたかも船の片側だけをオールで漕いで、前へ進もうとするが如し。
まずは他者の心の浄化に努めることだ。
勿論、「彼を救おう、救ってやろう」などと驕ってはいけない。
心に入り、その人を理解しようとすることだ。
つまり、お役に立とうとするということだ。
あたかも船の片側だけをオールで漕いで、前へ進もうとするが如し。
まずは他者の心の浄化に努めることだ。
勿論、「彼を救おう、救ってやろう」などと驕ってはいけない。
心に入り、その人を理解しようとすることだ。
つまり、お役に立とうとするということだ。
見下すとか見下されるとかについて
2014年2月1日 エッセイ コメント (3)マジレスすると
人の為になることを心から献身的にやってる人は見下されないものだ。
というのはなぜなら、「見下す」のは相手ではなくて、
相手の言動から「見下されている」と感じる自分自身だから。
仮に相手が心底から見下してきているとしても、そんな事など気にならない。
自分のことばかり
自分をたてることばかり
自分が認められたいとばかり
考えているから
見下されていると感じるのです。
見下されるのが嫌だからと
相手との関係を絶ったところで、
あるいは相手に態度を改めてもらったところで、
またどうせ別の関係上で自分が自分を見下すでしょう。
ですから、そんな方法での改善はありえないのです。
結局、その現状を打破するには自分を変えるしかない。
-----------------------------------------------------
追記:
じゃあ「人の為になることって何なの?」ってなりますか?
本当にまったく思いつかないなら、そういう方に1つ申し上げます。
具体的には
例えば
「笑顔」。
どんなときでも笑顔でいるということは人の為になります。
にこにこと藁ってなさい。藁藁藁。
人の為になることを心から献身的にやってる人は見下されないものだ。
というのはなぜなら、「見下す」のは相手ではなくて、
相手の言動から「見下されている」と感じる自分自身だから。
仮に相手が心底から見下してきているとしても、そんな事など気にならない。
自分のことばかり
自分をたてることばかり
自分が認められたいとばかり
考えているから
見下されていると感じるのです。
見下されるのが嫌だからと
相手との関係を絶ったところで、
あるいは相手に態度を改めてもらったところで、
またどうせ別の関係上で自分が自分を見下すでしょう。
ですから、そんな方法での改善はありえないのです。
結局、その現状を打破するには自分を変えるしかない。
-----------------------------------------------------
追記:
じゃあ「人の為になることって何なの?」ってなりますか?
本当にまったく思いつかないなら、そういう方に1つ申し上げます。
具体的には
例えば
「笑顔」。
どんなときでも笑顔でいるということは人の為になります。
にこにこと藁ってなさい。藁藁藁。
知ってる知ってる→やらないと意味がない
2014年1月30日 エッセイいい話聞いて
「あー感動した。」
よくある展開だよねーなんて言ってみる。
次の日忘れる。
格言みて
「あーそれしってる。」
知ってることで満足して
よく聞く類の話だよねーなんて言ってみる。
TVやネットや本で
そんなに頭に贅肉ばかりつけたところで、何の意味もない。
例えどんなに「知った」り、「わかった」り、しても
実際行動にあらわさなければ、
「知らない」、「わからない」と何もかわらない。
行動しなければ、何も変わらないのですよ。
行動を。
DO.
「あー感動した。」
よくある展開だよねーなんて言ってみる。
次の日忘れる。
格言みて
「あーそれしってる。」
知ってることで満足して
よく聞く類の話だよねーなんて言ってみる。
TVやネットや本で
そんなに頭に贅肉ばかりつけたところで、何の意味もない。
例えどんなに「知った」り、「わかった」り、しても
実際行動にあらわさなければ、
「知らない」、「わからない」と何もかわらない。
行動しなければ、何も変わらないのですよ。
行動を。
DO.
こと「食」に関していえば、強運の持ち主なのかもしれない。
「空腹だけど食べるものがなかった」なんていう記憶がない。
この時代にはよくある事なのかもしれないが、
うちはそうじゃなかった。
小学校3年のときに親が離婚。
母親ひとりで男の子ばかり3人の子供を全員引き取った。
母親は必死に働いた。帰りが遅くなることもあった。
金が尽きることも あった。何度もあった。
電気やガスを止められるなんて日常茶飯事だった。
しかし晩飯にありつけないなんて事は1度もなかったんだよ。
金がないときのメシは母親の分を全部くれてたんだよなぁ。
「お母さんはお腹すいてないから」とか
「お母さんは外で食べてきたから」とか
「お母さんはいつも外でおいしいもの食べてるんだから」とか
全部ウソだと、子供でもわかった。
離婚のプライドと責任を感じていたんだろうし、何より子供を愛してた。
そして
母親の帰りが夜遅くなったとき
それでも俺たち子供は実は温かい晩メシが食えた。
ある日よりオッサンが住み着くようになったからだ。
オッサンはダンプカーで土を運ぶ仕事をしていた。
そういう仕事は朝が早く始まり、
早く現場に着いて積荷をすれば、夕方頃には終わる。
夕方4時ごろには帰ってくる。
そのオッサンは、どうしようもなく馬鹿で短気でいつも不機嫌で、
子供になつかれようともしなかったし、
子供もなつくことはなかった。
そしてこのオッサンはその夕方の帰宅直後が一番、機嫌が悪い。
何をするにもいちいち大きな音を立てる。
ふすまを開ける勢いと音はいまでもトラウマとしか言いようがない。
俺たちは怯えていた。
ファミコンしてたらそのファミコンを蹴り飛ばされるので、夕方にはやめて片づける。
オッサンの帰宅時のインパクトを回避できる術は3つしかない。
1.おもちゃや漫画を片づけて隅っこのほうでおとなしくしている。
2.布団を引き、もぐりこんで寝たふりをする。
3.3時頃から外へ出かけておく。
直接的な暴行による虐待はほぼ無かった。
子供に手を出したら終わりだと何度も母に言われていたようだ。
なんでこんなオッサンが家にいるのかわからなかったが今はわかる。
「子供がお腹を空かせないように」
これが離婚時に子供を引き取る覚悟を決めた母の最大最後の願いだったんだ。
オッサンは毎日必ずメシを作ってくれた。
どんなに疲れてても。
どんな日でも。
レパートリーはそんなにない。
カレー、ハヤシライス、親子丼、他人丼、お好み焼き。
最初はそんなもんだったと思う。
米は朝に水につけておき、
夕方に炊くので炊き立てアツアツ。
おかずも作り立て。
何があろうとも作り終えた直後瞬間に全員集まって食わないとブチ切れられるので
速攻で食べる。
そして必ず「うまいか」と聞いてくるが「おいしい」と返す以外に選択肢はない。
たしかにこだわって作っているっぽかったけど、
「作った直後すぎて熱すぎて味なんてわかんねぇよ。」といつも思ってた。
でも今はわかる。
熱くて最高に旨かった。
旨かったよ。
男子を育てるにはそれでいい。
食わしてやるだけで、それでいいんだ。
-----------
クソお世話になりました!この御恩は一生忘れません!!
漫画「ワンピース」のサンジのこの台詞。
今でも涙が止まらない。
アニメでは別途ストーリーに変更されてたが、
原作ではサンジに食料すべてを渡して自分の足を食ったゼフ。
食に対する恩。
アニメや原作を見た人も多いだろうけれど、
そういう人も是非、今一度、下の動画を見てほしい。
アニメ版ストーリー↓(YouTube)
http://youtu.be/hzBErjEGVRo
別れ際の名言↓(同じくYouTube)
http://youtu.be/43N3OErXKJU
------------
最終的には二十歳ぐらいのときに
俺がこのオッサンを追い出した形になった。
この人とまた関係を持つことはたぶん無いだろう。
性格もさることながらギャンブルや金銭面なども問題が多すぎて、
とても妻の身内に合わせれない。
恩返しは直接は出来ないだろう。
まあ出来たとしても返しきれるもんでもないが。
そして、自分で追い出しといてなおそれでも
言うのだけれど
クソお世話になりました。
この御恩は一生忘れません。
僕らはソクセキ麺やジャンクフードなんかで育ったわけじゃない。
あなたの作ってくれた親子丼は
熱くてたまらなくて本当に旨かったです。
本当に、本当に・・・・ありがとうございました・・・。
「空腹だけど食べるものがなかった」なんていう記憶がない。
この時代にはよくある事なのかもしれないが、
うちはそうじゃなかった。
小学校3年のときに親が離婚。
母親ひとりで男の子ばかり3人の子供を全員引き取った。
母親は必死に働いた。帰りが遅くなることもあった。
金が尽きることも あった。何度もあった。
電気やガスを止められるなんて日常茶飯事だった。
しかし晩飯にありつけないなんて事は1度もなかったんだよ。
金がないときのメシは母親の分を全部くれてたんだよなぁ。
「お母さんはお腹すいてないから」とか
「お母さんは外で食べてきたから」とか
「お母さんはいつも外でおいしいもの食べてるんだから」とか
全部ウソだと、子供でもわかった。
離婚のプライドと責任を感じていたんだろうし、何より子供を愛してた。
そして
母親の帰りが夜遅くなったとき
それでも俺たち子供は実は温かい晩メシが食えた。
ある日よりオッサンが住み着くようになったからだ。
オッサンはダンプカーで土を運ぶ仕事をしていた。
そういう仕事は朝が早く始まり、
早く現場に着いて積荷をすれば、夕方頃には終わる。
夕方4時ごろには帰ってくる。
そのオッサンは、どうしようもなく馬鹿で短気でいつも不機嫌で、
子供になつかれようともしなかったし、
子供もなつくことはなかった。
そしてこのオッサンはその夕方の帰宅直後が一番、機嫌が悪い。
何をするにもいちいち大きな音を立てる。
ふすまを開ける勢いと音はいまでもトラウマとしか言いようがない。
俺たちは怯えていた。
ファミコンしてたらそのファミコンを蹴り飛ばされるので、夕方にはやめて片づける。
オッサンの帰宅時のインパクトを回避できる術は3つしかない。
1.おもちゃや漫画を片づけて隅っこのほうでおとなしくしている。
2.布団を引き、もぐりこんで寝たふりをする。
3.3時頃から外へ出かけておく。
直接的な暴行による虐待はほぼ無かった。
子供に手を出したら終わりだと何度も母に言われていたようだ。
なんでこんなオッサンが家にいるのかわからなかったが今はわかる。
「子供がお腹を空かせないように」
これが離婚時に子供を引き取る覚悟を決めた母の最大最後の願いだったんだ。
オッサンは毎日必ずメシを作ってくれた。
どんなに疲れてても。
どんな日でも。
レパートリーはそんなにない。
カレー、ハヤシライス、親子丼、他人丼、お好み焼き。
最初はそんなもんだったと思う。
米は朝に水につけておき、
夕方に炊くので炊き立てアツアツ。
おかずも作り立て。
何があろうとも作り終えた直後瞬間に全員集まって食わないとブチ切れられるので
速攻で食べる。
そして必ず「うまいか」と聞いてくるが「おいしい」と返す以外に選択肢はない。
たしかにこだわって作っているっぽかったけど、
「作った直後すぎて熱すぎて味なんてわかんねぇよ。」といつも思ってた。
でも今はわかる。
熱くて最高に旨かった。
旨かったよ。
男子を育てるにはそれでいい。
食わしてやるだけで、それでいいんだ。
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クソお世話になりました!この御恩は一生忘れません!!
漫画「ワンピース」のサンジのこの台詞。
今でも涙が止まらない。
アニメでは別途ストーリーに変更されてたが、
原作ではサンジに食料すべてを渡して自分の足を食ったゼフ。
食に対する恩。
アニメや原作を見た人も多いだろうけれど、
そういう人も是非、今一度、下の動画を見てほしい。
アニメ版ストーリー↓(YouTube)
http://youtu.be/hzBErjEGVRo
別れ際の名言↓(同じくYouTube)
http://youtu.be/43N3OErXKJU
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最終的には二十歳ぐらいのときに
俺がこのオッサンを追い出した形になった。
この人とまた関係を持つことはたぶん無いだろう。
性格もさることながらギャンブルや金銭面なども問題が多すぎて、
とても妻の身内に合わせれない。
恩返しは直接は出来ないだろう。
まあ出来たとしても返しきれるもんでもないが。
そして、自分で追い出しといてなおそれでも
言うのだけれど
クソお世話になりました。
この御恩は一生忘れません。
僕らはソクセキ麺やジャンクフードなんかで育ったわけじゃない。
あなたの作ってくれた親子丼は
熱くてたまらなくて本当に旨かったです。
本当に、本当に・・・・ありがとうございました・・・。
今から語ることは真実です。
酸素や水を大量に摂取すると毒であるように、
「時間」も結構な猛毒であります。
自分の為だけに大量なる時間を消費しますと、
この猛毒は様々な毒の副産物を生みだし、心をムシバミ、
「孤独」や「空虚」トナリテ、人体および精神に甚大な被害を及ぼすのです。
自分では「有意義に使っている」と思い込んでいるその自由な時間こそが
私達を蝕んでいるのであります。
では、その時間の持つ致死の猛毒性を中和し、美味しくいただくにはどうすればよいのか。
・・・・実は、
「他者の為に費やす」しかその毒素を抜き取る方法アラズ。
時間とは実は自分の為に在るのではないのでございます。
では、自分を押し殺せというのかと言いますとそれも少し違います。
他者の為に費やした時間というのは、毒素が抜け、
オオヨソこの世のモノとは思えぬほどの美味。圧倒的!圧倒的美味なのでございます!!!
また、その合間にほんの少し自分に割(さ)く時間というのも
少しの毒をもって喰らうは嗜好!!嗜み!!それこそが至高でござます!!
他人に使うということで初めてその毒素が抜ける。
それが時間なのです。
酸素や水を大量に摂取すると毒であるように、
「時間」も結構な猛毒であります。
自分の為だけに大量なる時間を消費しますと、
この猛毒は様々な毒の副産物を生みだし、心をムシバミ、
「孤独」や「空虚」トナリテ、人体および精神に甚大な被害を及ぼすのです。
自分では「有意義に使っている」と思い込んでいるその自由な時間こそが
私達を蝕んでいるのであります。
では、その時間の持つ致死の猛毒性を中和し、美味しくいただくにはどうすればよいのか。
・・・・実は、
「他者の為に費やす」しかその毒素を抜き取る方法アラズ。
時間とは実は自分の為に在るのではないのでございます。
では、自分を押し殺せというのかと言いますとそれも少し違います。
他者の為に費やした時間というのは、毒素が抜け、
オオヨソこの世のモノとは思えぬほどの美味。圧倒的!圧倒的美味なのでございます!!!
また、その合間にほんの少し自分に割(さ)く時間というのも
少しの毒をもって喰らうは嗜好!!嗜み!!それこそが至高でござます!!
他人に使うということで初めてその毒素が抜ける。
それが時間なのです。
「はたらく」ということの真の意味
2014年1月19日 エッセイ コメント (5)世話というのは、
するほうは「してあげている」と思っているが、
実はそうではない。
世話「させてくれる」人がいないと出来ないんだよ。
世話させてくれる人が周りにいないということはつまり
「おまえにはまだ早い」と、天に言われているということさ。
「迷惑はかけたくない。」
「若い者の世話になりたくはない。」
「働くことも出来なくて、迷惑ばっかりかけている。」
といったことを、御世辞じゃなく言う人がいる。
しかし、そんなことはないよ。
なぜなら、
はた(他者)が楽をするという意味で「はたらく」とするのならば。
世話をさせてくださる方の笑顔と「ありがとう。」の言葉。
これは何物にも代えがたい大きな「はたらき」ではないだろうか。
するほうは「してあげている」と思っているが、
実はそうではない。
世話「させてくれる」人がいないと出来ないんだよ。
世話させてくれる人が周りにいないということはつまり
「おまえにはまだ早い」と、天に言われているということさ。
「迷惑はかけたくない。」
「若い者の世話になりたくはない。」
「働くことも出来なくて、迷惑ばっかりかけている。」
といったことを、御世辞じゃなく言う人がいる。
しかし、そんなことはないよ。
なぜなら、
はた(他者)が楽をするという意味で「はたらく」とするのならば。
世話をさせてくださる方の笑顔と「ありがとう。」の言葉。
これは何物にも代えがたい大きな「はたらき」ではないだろうか。
リフレクション その2
2014年1月15日 エッセイリフレクションの正体について。
前回、リフレクションという日記を書いたが、その続き。
http://58391.diarynote.jp/201401131450404511/
私は前回、
「自分に向かってくる【自分の悪意】から自分の心を守る術を知らなかった。」
と表現したが、
それは違う。微妙に違うのぅ。
もっと正確にいうと、
「【私の純粋】は【自分の悪意】から自分の心を守ることを許せなかった。」
が、しっくりくる。
しかしまあ純粋だと思っていた【私の純粋】は、実はそうではなかった。
自分というものが自分というものだけでは成立していないことを
このときは知っていなかったのだ。
私は私の自由意思を【私の純粋】だと考えていたに過ぎない。
小さな世界で自分に風を当て続けてはいたが、
しかしそれはサクリファイスなどではなかった。
自由との等価交換であるかのような錯覚。
どこまでも独りよがりな空虚。
それは純粋ではなかった。
それこそが暗闇の雲。
それこそが真に【自分の悪意】だったのだ。
自分と他とを区切ることこそが悪意だったのだ。
ではリフレクションは区切りではないのだろうか。
リフレクションは区切りではない。
悪意をせきとめる斥力だ。
調和を維持する秩序だ。
存在を人間たらしめる「思いやり」であり、
私が存在し得るために必要なエネルギー。
それはつまり感謝の念である。
この力を最大限に引き出すためには
自分と他人の垣根を捨てて、
そして万象が自分を生かしてくれているその恩に気づけばよい。
おのずから感謝の念が沸き起こり、
このリフレクションによる調和は強まっていくだろう。
そのパワーが最高域に到達したとき、
【自分の悪意】は「自分の悪意」ではなくなる。
すべての隔たりが取り払われたとき
自ら調和をとれるレベルに達し、矩を超えない人格となりて
リフレクションは再び不要になるだろう。
前回、リフレクションという日記を書いたが、その続き。
http://58391.diarynote.jp/201401131450404511/
私は前回、
「自分に向かってくる【自分の悪意】から自分の心を守る術を知らなかった。」
と表現したが、
それは違う。微妙に違うのぅ。
もっと正確にいうと、
「【私の純粋】は【自分の悪意】から自分の心を守ることを許せなかった。」
が、しっくりくる。
しかしまあ純粋だと思っていた【私の純粋】は、実はそうではなかった。
自分というものが自分というものだけでは成立していないことを
このときは知っていなかったのだ。
私は私の自由意思を【私の純粋】だと考えていたに過ぎない。
小さな世界で自分に風を当て続けてはいたが、
しかしそれはサクリファイスなどではなかった。
自由との等価交換であるかのような錯覚。
どこまでも独りよがりな空虚。
それは純粋ではなかった。
それこそが暗闇の雲。
それこそが真に【自分の悪意】だったのだ。
自分と他とを区切ることこそが悪意だったのだ。
ではリフレクションは区切りではないのだろうか。
リフレクションは区切りではない。
悪意をせきとめる斥力だ。
調和を維持する秩序だ。
存在を人間たらしめる「思いやり」であり、
私が存在し得るために必要なエネルギー。
それはつまり感謝の念である。
この力を最大限に引き出すためには
自分と他人の垣根を捨てて、
そして万象が自分を生かしてくれているその恩に気づけばよい。
おのずから感謝の念が沸き起こり、
このリフレクションによる調和は強まっていくだろう。
そのパワーが最高域に到達したとき、
【自分の悪意】は「自分の悪意」ではなくなる。
すべての隔たりが取り払われたとき
自ら調和をとれるレベルに達し、矩を超えない人格となりて
リフレクションは再び不要になるだろう。