我思う故に我があるのではない。
2014年1月15日 エッセイ我はそんな孤立した存在ではない。
他者がいて、周囲に支えられて自分というものが存在する。
他者を批判することで打ち負かしても、
それは勝利とは言えない。
それは自分を消滅に向かわているだけなのだ。
環境なくしては我は有り得ない。
消失した私の2つのコメントについて。
1つ目は良かった。意見だったのだから。
だが2つ目は違った。
他者からの批判を批判で返してしまっていたな。
内容は悪くなかった。ただその表現に悪意を含めてしまったようだ。
残念だ。
次はきっと。うまく言えるさ。
他者がいて、周囲に支えられて自分というものが存在する。
他者を批判することで打ち負かしても、
それは勝利とは言えない。
それは自分を消滅に向かわているだけなのだ。
環境なくしては我は有り得ない。
消失した私の2つのコメントについて。
1つ目は良かった。意見だったのだから。
だが2つ目は違った。
他者からの批判を批判で返してしまっていたな。
内容は悪くなかった。ただその表現に悪意を含めてしまったようだ。
残念だ。
次はきっと。うまく言えるさ。
リフレクション
reflection
この『魔法』を習得するのに30年ほどかかりました。
自分の心を【自分の悪意】から守る術。
それを知らず生身でいたため、
私の心は私の人生の中で、実にひどいダメージを受け続けていたのです。
私は小さい頃に頭の良さという点では早熟したので、
万象の善からぬことを考え出すと、
ついには自分を刺し殺してしまう、その結論を導くのが非常に早かった。
しかしそこから道を切り開くほどまでには頭の良さは持ちえておらず、
苦悩し続けました。
高校時代、よく赤面する友達を内心バカにしていたのだけれど、
大学に入って自分が赤面症になっていたときには、恥で死にそうになりました。
社会人になっても続く苦悩。
ついに3年間無職を伴う鬱病状態を乗り越え、
治ったとは言えませんが、その鬱とはうまく付き合えるようになり、
絶望を抱きながら動くことが出来るという離れ業を習得しました。
いや、一般的にはそんなに離れ業じゃないのかもしれませんが、
私にとってはとんでもない偉業でございましたよ。
さらにはついには
自分の悪意と自分の合間に
このリフレクを張る
ということを覚えるまでになりました。
ようは『自分を守る』ということですが、
普通のことですよね。
こんな普通のことが出来なかったなんて
頭の良さなんかじゃなくて馬鹿だともいえる。
しかしまあ、このリフレクのおかげさまで心が相当強くなりました。
写真は、リフレクションの私の心の中のイメージを絵にしてみたものです。
守るという意味ではプロテクなんじゃないの?
って思われるかもしれませんが、少し違うのです。
というのも
自分への悪意というは無くてはならないもので、
悪意に押し勝ってしまったら、それはそれで身を滅ぼすことになりましょう。
その力と反発しあい、均衡を守るという意味では
やはりリフレクだと思うのです。
何か、消滅したくなるほどに自分への責め、
攻撃が自分の中で沸き起こる時、
それは早ければ3分に1回ぐらいは訪れたりするわけですけれども。
そういう時はこのイメージを頭の中に思い浮かべます。
油膜のような分厚い壁を張るイメージです。
同じような苦悩を持つ方がいらっしゃいましたら、
このイメージが何か抜け出すヒントとなれば幸いです。
reflection
この『魔法』を習得するのに30年ほどかかりました。
自分の心を【自分の悪意】から守る術。
それを知らず生身でいたため、
私の心は私の人生の中で、実にひどいダメージを受け続けていたのです。
私は小さい頃に頭の良さという点では早熟したので、
万象の善からぬことを考え出すと、
ついには自分を刺し殺してしまう、その結論を導くのが非常に早かった。
しかしそこから道を切り開くほどまでには頭の良さは持ちえておらず、
苦悩し続けました。
高校時代、よく赤面する友達を内心バカにしていたのだけれど、
大学に入って自分が赤面症になっていたときには、恥で死にそうになりました。
社会人になっても続く苦悩。
ついに3年間無職を伴う鬱病状態を乗り越え、
治ったとは言えませんが、その鬱とはうまく付き合えるようになり、
絶望を抱きながら動くことが出来るという離れ業を習得しました。
いや、一般的にはそんなに離れ業じゃないのかもしれませんが、
私にとってはとんでもない偉業でございましたよ。
さらにはついには
自分の悪意と自分の合間に
このリフレクを張る
ということを覚えるまでになりました。
ようは『自分を守る』ということですが、
普通のことですよね。
こんな普通のことが出来なかったなんて
頭の良さなんかじゃなくて馬鹿だともいえる。
しかしまあ、このリフレクのおかげさまで心が相当強くなりました。
写真は、リフレクションの私の心の中のイメージを絵にしてみたものです。
守るという意味ではプロテクなんじゃないの?
って思われるかもしれませんが、少し違うのです。
というのも
自分への悪意というは無くてはならないもので、
悪意に押し勝ってしまったら、それはそれで身を滅ぼすことになりましょう。
その力と反発しあい、均衡を守るという意味では
やはりリフレクだと思うのです。
何か、消滅したくなるほどに自分への責め、
攻撃が自分の中で沸き起こる時、
それは早ければ3分に1回ぐらいは訪れたりするわけですけれども。
そういう時はこのイメージを頭の中に思い浮かべます。
油膜のような分厚い壁を張るイメージです。
同じような苦悩を持つ方がいらっしゃいましたら、
このイメージが何か抜け出すヒントとなれば幸いです。
朝夕の食事はうまからずともほめて食うべし
2014年1月10日 エッセイ コメント (4)人を褒めることをしばしば忘れてしまうことがあるものだ。
しかし人を褒めたときには
自分自身も何か幸福感に似たものをいただくのだということに気づく。
もちろん見返りを期待して褒めるわけじゃないけれど。
感謝して敬する心は、ときに自らの言動によって掘り起こされる場合があるのだ。
人生、何事も旨し。
しかし人を褒めたときには
自分自身も何か幸福感に似たものをいただくのだということに気づく。
もちろん見返りを期待して褒めるわけじゃないけれど。
感謝して敬する心は、ときに自らの言動によって掘り起こされる場合があるのだ。
人生、何事も旨し。
あめつちの はじめてひらくるとき
2014年1月9日 エッセイ コメント (2)読書の最初の数ページ
ドラクエのLv1からLv9
付き合いだした恋人とのイベント事
最初というものは実に楽しいものだ。
天地初發之時
「初」と言えば一月だ。
初日出、初詣、初夢、初マラソン、初売
なんでも「初」だ。
すがすがしい。
でも一月にかぎったことじゃない。
私たちはいつでも 新しい心 をもって
なんどきでも この瞬間を「初」と こころすることが出来る。
いつだって今からはじめればよいのさ。
そうするしかはじめる方法もないのだから。
いつまでたっても そう
いつからでも そう
ぼくたちにとっては いま が
あめつちの はじめてひらくるとき!
ドラクエのLv1からLv9
付き合いだした恋人とのイベント事
最初というものは実に楽しいものだ。
天地初發之時
「初」と言えば一月だ。
初日出、初詣、初夢、初マラソン、初売
なんでも「初」だ。
すがすがしい。
でも一月にかぎったことじゃない。
私たちはいつでも 新しい心 をもって
なんどきでも この瞬間を「初」と こころすることが出来る。
いつだって今からはじめればよいのさ。
そうするしかはじめる方法もないのだから。
いつまでたっても そう
いつからでも そう
ぼくたちにとっては いま が
あめつちの はじめてひらくるとき!
3歳の娘が「お父しゃん、お父しゃんっ!!」としきりに呼んでくる。
遊んでほしいというのだ。
-- 小さい頃の私は、孤独感を非常に感じている子だった。
もちろん親からの愛情は受けて育ったんだけれども、
親にもっとかまってほしい、もっと見ていてほしいという思いが強く、
共働きの親は、そんな子の強いわがままを満たすほど過保護ではなかった。
とにかく何やら孤独感を強く抱いている子だったんだ。
そんな私が娘の一挙手一投足、所作言動をじっと見つめながら、
そして一緒に遊んでやると、
私は何か満たされた、安心感を覚えて。。。
昔の孤独感が癒される気がしてくる。
遊んでやっているのか、遊んでもらっているのかわからなくなってくる。
「お父しゃん、見といてね!!」
「うん。見てるよ。・・・おお、すごいね!よくできたね!よかったね!」
よかったね
遊んでほしいというのだ。
-- 小さい頃の私は、孤独感を非常に感じている子だった。
もちろん親からの愛情は受けて育ったんだけれども、
親にもっとかまってほしい、もっと見ていてほしいという思いが強く、
共働きの親は、そんな子の強いわがままを満たすほど過保護ではなかった。
とにかく何やら孤独感を強く抱いている子だったんだ。
そんな私が娘の一挙手一投足、所作言動をじっと見つめながら、
そして一緒に遊んでやると、
私は何か満たされた、安心感を覚えて。。。
昔の孤独感が癒される気がしてくる。
遊んでやっているのか、遊んでもらっているのかわからなくなってくる。
「お父しゃん、見といてね!!」
「うん。見てるよ。・・・おお、すごいね!よくできたね!よかったね!」
よかったね
批判しているのは誰か
2014年1月6日 エッセイ コメント (2)自分を批判するものは常に自分自身なのだ。
他人からの批判というものは「その人がそう考えている」だけに過ぎない。
内容や文言を自分なりに解釈し、受け止めて
そこから自分を批判しているのは
それを見聞きした「自分自身」に他ならない。
他人からの批判や意見はよく吟味し、
自分のためになるのであれば、よいところを取り入れるし、
そうでないなら受け流すことが必要だ。
他人からの批判というものは「その人がそう考えている」だけに過ぎない。
内容や文言を自分なりに解釈し、受け止めて
そこから自分を批判しているのは
それを見聞きした「自分自身」に他ならない。
他人からの批判や意見はよく吟味し、
自分のためになるのであれば、よいところを取り入れるし、
そうでないなら受け流すことが必要だ。
オリジナルとは何か
パクリとは何か
オリジナルってのは
突然、神のごとく舞い降りたヒラメキによって作られたものですか?
しかし突然のヒラメキであっても、何かしらヒントはあったはずです。
自然物であったり、
以前の経験であったり、
他者が作ったものを見聞きして、記憶の底で覚えていたものであったり。
オリジナルなんてのは所詮パクリの組み合わせなのです。
パクリに別の何かから生まれたパクリを組み合わせたものがオリジナルなのです。
違うというのなら、事例を挙げて見せてください。
リンゴが落ちたのを見て万有引力を思いついても、
言語を発明しても、
ありがたい哲学や思想を思いついて書き記しても
全部、自然現象やら、先人やらなんやらの、そこからのパクリです。派生なんです。
つまり、逆に言うと
十分な経験や知識がないと
パクれるものが少ないのでオリジナルを生むのは至難の業です。
最近は青二才が、やれ「個性」だ、やれ「自己主張」だ、などと言うが、
若造が「個性」だの「自分のやりたいこと」だの言っても
そんなものは未熟なうちには何の意味もない。
自分で思いついたことなんて「思いついたと思っている事」にすぎないパクリなのだから。
地盤をまずは築いてからだろう。
基礎知識を深めていくほかないのだ。
学校へ行きなさい。学校へ。
パクリとは何か
オリジナルってのは
突然、神のごとく舞い降りたヒラメキによって作られたものですか?
しかし突然のヒラメキであっても、何かしらヒントはあったはずです。
自然物であったり、
以前の経験であったり、
他者が作ったものを見聞きして、記憶の底で覚えていたものであったり。
オリジナルなんてのは所詮パクリの組み合わせなのです。
パクリに別の何かから生まれたパクリを組み合わせたものがオリジナルなのです。
違うというのなら、事例を挙げて見せてください。
リンゴが落ちたのを見て万有引力を思いついても、
言語を発明しても、
ありがたい哲学や思想を思いついて書き記しても
全部、自然現象やら、先人やらなんやらの、そこからのパクリです。派生なんです。
つまり、逆に言うと
十分な経験や知識がないと
パクれるものが少ないのでオリジナルを生むのは至難の業です。
最近は青二才が、やれ「個性」だ、やれ「自己主張」だ、などと言うが、
若造が「個性」だの「自分のやりたいこと」だの言っても
そんなものは未熟なうちには何の意味もない。
自分で思いついたことなんて「思いついたと思っている事」にすぎないパクリなのだから。
地盤をまずは築いてからだろう。
基礎知識を深めていくほかないのだ。
学校へ行きなさい。学校へ。
自分磨きなどと
自助ばかりを求める割に、
まったく努力が足りず、
その自助の力までも弱まってしまう。
そんな私でございました。
共助を思う人、どうにか私もそうなりたい、そうありたいと願いますが、
どのようにすればよいのかもわからず、情けない私です。
それでもまずは一歩。
今年一年は様々な行事に積極的に参加し「多接」※1を心掛け
人によって磨かれることで、
なぜ自助だけではいけないのかのその真の意味の体得をめざし、
人を思う心というはどういったものなのか、
自分に何が足りないのか、
学んでいきたいと思います。
昨年、私は日ごろの姿勢や、演説内容について、
大先輩方から(本当にわずかにですが)ご指摘いただけるようになりまして、
しかし、その感謝を忘れ、
考え込んだり、悩んだりするようになっていました。
悩んだり、考えこんだりすると、何事も一歩踏み出しにくくなるものです。
私は行動一つ一つが奥手、奥手へとなっていっておりました。
このたび、年頭の決意をさせていただくにあたりまして、
自己を見つめなおし、また再度さまざまなことを確認し、また多くの学びを頂きました。
これまでのように細かいことにとらわれたり、
狭い自分の頭の中だけで理解しようとするのではなく、
善いと直感することに対しては、ただただひたすらに「愚直」に行う、
愚直に行えるようになることを目指す。
そのことがまずは大切だと、気づかせていただいたのです。
「共助」への道は、私のようなものにはとても遠い道に思えます。
しかしまずは愚直に善きと思う事を自然に沿って行うことをめざし、
より善い社会を目指す活力ある私となれますように、
今年は私が執り行うべき、あるいは参加すべき行事
そのすべてに終始一貫して参加させていただきたく決意するものでございます。
親の恩、師の恩を忘れずに。
感謝をむねに、はたらきます。
※1 多接・・・多くの人、事、物に接して創造的な生活をする事。
日本生活習慣病予防協会「一無、二少、三多」より引用。
http://www.seikatsusyukanbyo.com/main/yobou/02.php
自助ばかりを求める割に、
まったく努力が足りず、
その自助の力までも弱まってしまう。
そんな私でございました。
共助を思う人、どうにか私もそうなりたい、そうありたいと願いますが、
どのようにすればよいのかもわからず、情けない私です。
それでもまずは一歩。
今年一年は様々な行事に積極的に参加し「多接」※1を心掛け
人によって磨かれることで、
なぜ自助だけではいけないのかのその真の意味の体得をめざし、
人を思う心というはどういったものなのか、
自分に何が足りないのか、
学んでいきたいと思います。
昨年、私は日ごろの姿勢や、演説内容について、
大先輩方から(本当にわずかにですが)ご指摘いただけるようになりまして、
しかし、その感謝を忘れ、
考え込んだり、悩んだりするようになっていました。
悩んだり、考えこんだりすると、何事も一歩踏み出しにくくなるものです。
私は行動一つ一つが奥手、奥手へとなっていっておりました。
このたび、年頭の決意をさせていただくにあたりまして、
自己を見つめなおし、また再度さまざまなことを確認し、また多くの学びを頂きました。
これまでのように細かいことにとらわれたり、
狭い自分の頭の中だけで理解しようとするのではなく、
善いと直感することに対しては、ただただひたすらに「愚直」に行う、
愚直に行えるようになることを目指す。
そのことがまずは大切だと、気づかせていただいたのです。
「共助」への道は、私のようなものにはとても遠い道に思えます。
しかしまずは愚直に善きと思う事を自然に沿って行うことをめざし、
より善い社会を目指す活力ある私となれますように、
今年は私が執り行うべき、あるいは参加すべき行事
そのすべてに終始一貫して参加させていただきたく決意するものでございます。
親の恩、師の恩を忘れずに。
感謝をむねに、はたらきます。
※1 多接・・・多くの人、事、物に接して創造的な生活をする事。
日本生活習慣病予防協会「一無、二少、三多」より引用。
http://www.seikatsusyukanbyo.com/main/yobou/02.php
世界で最も○○なもの
2014年1月3日 エッセイよく「世界一○○なもの」と紹介されるけれど、
私の周囲に無いものは
私の世界の中では一位にはなれないだろう。
「オススメです」っていうならわかる。
「世界一です」っていうのは誰が決めたの?強制?
「おいしい」とか
「うつくしい」とか
感想や感覚は、そりゃ俺(個人)が決めることでしょ?
そんな抽象的な事以外でも、怪しい事がある。
例えば数字も怪しいんだよ。
「世界一高い山はエベレストです!」
自分で測ったことも登ったことも、ましてやこの目で見たこともない。
誰かが勝手に測ったよって言い張ってるこいつは本当に果たして世界一なのか?
そう、俺にとってエベレストは、目の前に現れない以上
ファンタジー世界の妖精さんとなんら変わらない絵空事なのだ。
そんな勝手に他人がまことしやかに言った絵空事が「世界一だ」というならば、
「地球人最強はクリリン」ということで異論はないということになってしまう。
そんなバカげた話はない。
そう、エベレストが世界一高いなどバカげた話なのだ。
俺の世界の中にある山は、せいぜい富士山ぐらいだなぁ。
ありゃ世界一 inMyWorldだわ。
つまり・・・
事実ってのはその人、その人で違うということだなぁ。
私の周囲に無いものは
私の世界の中では一位にはなれないだろう。
「オススメです」っていうならわかる。
「世界一です」っていうのは誰が決めたの?強制?
「おいしい」とか
「うつくしい」とか
感想や感覚は、そりゃ俺(個人)が決めることでしょ?
そんな抽象的な事以外でも、怪しい事がある。
例えば数字も怪しいんだよ。
「世界一高い山はエベレストです!」
自分で測ったことも登ったことも、ましてやこの目で見たこともない。
誰かが勝手に測ったよって言い張ってるこいつは本当に果たして世界一なのか?
そう、俺にとってエベレストは、目の前に現れない以上
ファンタジー世界の妖精さんとなんら変わらない絵空事なのだ。
そんな勝手に他人がまことしやかに言った絵空事が「世界一だ」というならば、
「地球人最強はクリリン」ということで異論はないということになってしまう。
そんなバカげた話はない。
そう、エベレストが世界一高いなどバカげた話なのだ。
俺の世界の中にある山は、せいぜい富士山ぐらいだなぁ。
ありゃ世界一 inMyWorldだわ。
つまり・・・
事実ってのはその人、その人で違うということだなぁ。
自分だけ磨けばいいの?
2014年1月2日 エッセイ勉強したり、
体鍛えたり、
技能を習得したり。
「何かを目指す」っていうのはそういう事だと思われてる。
でもそれって本当ですか?
自分だけ磨けばいいの?
自分を磨くのももちろん必要だけど、
与えられっぱなしじゃ結局、磨けない部分がある。
人に喜んでもらえる自分。
誰かのために行動する自分。助ける人。与える人。
そういう人になって初めて、人として人によって磨かれる自分がいる。
自分を磨きたくて、自分だけを磨いても、
ボートを片側だけ漕いでるようで、
進んだように思えても、実際は前には進んでない。
自分さえよければいいと突き進んでも
ぐるぐると同じ点を回っているだけで
何もしていないのとさほど変わらない。
助け助けられ、助け合う。
与え与えられる。
前進するには両側にオールが必要だ。
体鍛えたり、
技能を習得したり。
「何かを目指す」っていうのはそういう事だと思われてる。
でもそれって本当ですか?
自分だけ磨けばいいの?
自分を磨くのももちろん必要だけど、
与えられっぱなしじゃ結局、磨けない部分がある。
人に喜んでもらえる自分。
誰かのために行動する自分。助ける人。与える人。
そういう人になって初めて、人として人によって磨かれる自分がいる。
自分を磨きたくて、自分だけを磨いても、
ボートを片側だけ漕いでるようで、
進んだように思えても、実際は前には進んでない。
自分さえよければいいと突き進んでも
ぐるぐると同じ点を回っているだけで
何もしていないのとさほど変わらない。
助け助けられ、助け合う。
与え与えられる。
前進するには両側にオールが必要だ。
すべての感情は美しい。
2013年12月27日 エッセイ コメント (3)考えすぎるのはやめよう。
人生はシンプルです。
自分のやりたいことをやろう。
間違ってもいい。
けれど相手を思いやることは決して忘れずに。
たくさん旅をしよう。
すべての感情は美しい。
人生はシンプルです。
自分のやりたいことをやろう。
間違ってもいい。
けれど相手を思いやることは決して忘れずに。
たくさん旅をしよう。
すべての感情は美しい。
等周問題とは簡単にいうと
「同じ長さで囲うなら、円に近ずく程 、面積が広くなる」ということ。
牛乳、うちの娘が大好きなので、
毎日1000mlの紙パック1本は飲みます。
しかし、この牛乳パック、
1000mlだと自称していますが、
底は7cm×7cm、高さは19.5cmなのです。
何が言いたいかわかりますか。
「50cm(平方)×20cm=1000cm(立方)=1000ml」なので、
49cm(平方)×19.5cmは1000mlじゃないのです。
やれやれだぜ・・・・また近鉄ホテルや猪瀬の類か?
と思いますか?
残念。牛乳はしっかり1000ml入っています。
な、なんだと・・!?
なぜかというと・・・
牛乳パックは牛乳入れると膨張するんです。
別に紙パックが伸びるわけではありません。19.5cmのままです。
が、丸みを帯びて、紙パックの断面積は円に近付くんです。
その膨張を計算ではじき出すのは至難の業なので
「大体この位で1000入る」と経験で作ったのが今の形なんだと思います。
器の等周問題
人の人格も同じでしょう。
丸くなるにつれて大きく深く、受け入れる。
小さく見えて、実はスゴイ人。
器がデカくなるというのは、そういうことなのです。
「同じ長さで囲うなら、円に近ずく程 、面積が広くなる」ということ。
牛乳、うちの娘が大好きなので、
毎日1000mlの紙パック1本は飲みます。
しかし、この牛乳パック、
1000mlだと自称していますが、
底は7cm×7cm、高さは19.5cmなのです。
何が言いたいかわかりますか。
「50cm(平方)×20cm=1000cm(立方)=1000ml」なので、
49cm(平方)×19.5cmは1000mlじゃないのです。
やれやれだぜ・・・・また近鉄ホテルや猪瀬の類か?
と思いますか?
残念。牛乳はしっかり1000ml入っています。
な、なんだと・・!?
なぜかというと・・・
牛乳パックは牛乳入れると膨張するんです。
別に紙パックが伸びるわけではありません。19.5cmのままです。
が、丸みを帯びて、紙パックの断面積は円に近付くんです。
その膨張を計算ではじき出すのは至難の業なので
「大体この位で1000入る」と経験で作ったのが今の形なんだと思います。
器の等周問題
人の人格も同じでしょう。
丸くなるにつれて大きく深く、受け入れる。
小さく見えて、実はスゴイ人。
器がデカくなるというのは、そういうことなのです。
「倫理的におかしい」ってどういうこと?
2013年12月18日 エッセイ コメント (2)つまりプリキュアの敵ということです。
以下、説明しましょう。
倫とは
文字通り人の輪です。
仲間のことです。
人の輪/仲間との理法。ことわり。ととのえるルール。
つまり相手のことを思いやって、
人間的にうまくやっていくことこそが「倫理」なのです。
流行りの「コミュニケーション力」なんてのは「倫理」の1つなのです。
余談ですが、「人間」というのは、そもそも「じんかん」と読み、
人と人との間=世の中、世間を意味していました。
それが「人そのもの」という意味になっていったのは
人というのは誰かと誰かの間にいないと存在しえないからではないでしょうか。
上記の「存在」は精神的な意味ですが、
物理的にも、あるいは現実的にも、人は一人では生存できませんね。
(そもそも生まれるという時点で親という存在が必要です。)
つまり倫理を守らないと、
仲間とうまくやっていけず、
一人で生きていけずに人間は滅びます。
よって倫理というのは生きていく上で非常に重要で必要なものなのです。
では「倫理的におかしい」というのはどういうことでしょうか。
それはつまり相手を意識しない
人のことをかえりみない自己チューのことを言うのです。
つまりプリキュアの敵集団その名も「ジコチュウ」ってことですね?
プリキュアを見ればわかるというわけです。
ジコチュウは滅びる。
以下、説明しましょう。
倫とは
文字通り人の輪です。
仲間のことです。
人の輪/仲間との理法。ことわり。ととのえるルール。
つまり相手のことを思いやって、
人間的にうまくやっていくことこそが「倫理」なのです。
流行りの「コミュニケーション力」なんてのは「倫理」の1つなのです。
余談ですが、「人間」というのは、そもそも「じんかん」と読み、
人と人との間=世の中、世間を意味していました。
それが「人そのもの」という意味になっていったのは
人というのは誰かと誰かの間にいないと存在しえないからではないでしょうか。
上記の「存在」は精神的な意味ですが、
物理的にも、あるいは現実的にも、人は一人では生存できませんね。
(そもそも生まれるという時点で親という存在が必要です。)
つまり倫理を守らないと、
仲間とうまくやっていけず、
一人で生きていけずに人間は滅びます。
よって倫理というのは生きていく上で非常に重要で必要なものなのです。
では「倫理的におかしい」というのはどういうことでしょうか。
それはつまり相手を意識しない
人のことをかえりみない自己チューのことを言うのです。
つまりプリキュアの敵集団その名も「ジコチュウ」ってことですね?
プリキュアを見ればわかるというわけです。
ジコチュウは滅びる。
私は記憶力がない。
どうやらそのようなのです。
前に言ったことや話したことを覚えてなかったりする。
つい最近言ったことを
前回と全く同じテンションで初めて言うように言ったりする。w
でも、いいのですよ。
今日は今日でしょ!
今日の君は昨日の君ではない。私もそうだ。
前に何言ったかなんてあまり関係ないといえばそうだろう。
今日もまた同じ感想を抱いたのなら、同じように発言すべきなのだ。
約束とかは覚えてるから大丈夫。
過去にとらわれず、真っ新な態度で現時点を直視する。
記憶力がないと言わずに、忘却力があるというべきだわ。
どうやらそのようなのです。
前に言ったことや話したことを覚えてなかったりする。
つい最近言ったことを
前回と全く同じテンションで初めて言うように言ったりする。w
でも、いいのですよ。
今日は今日でしょ!
今日の君は昨日の君ではない。私もそうだ。
前に何言ったかなんてあまり関係ないといえばそうだろう。
今日もまた同じ感想を抱いたのなら、同じように発言すべきなのだ。
約束とかは覚えてるから大丈夫。
過去にとらわれず、真っ新な態度で現時点を直視する。
記憶力がないと言わずに、忘却力があるというべきだわ。
以前にバスケットの話を書いたと思うが。
結果にしか価値がないなんていうなら
トーナメントで勝者という価値があるのは一人ないし1チームであり、
オリンピックに出場する価値があるのはメダリストだけであり、
横浜DeNAは価値がないということですが。
この社会に満足という言葉は存在しえないのではないでしょうか。
この結果至上主義が
無力感、頽廃空虚、無気力、無関心を生むんでしょうよ。
目標を達成するために努力することと
達成という結果を得ることとは
根本的に別次元なので。
努力しつづけることに意味があるんです。
そういうことなんです。
結果にしか価値がないなんていうなら
トーナメントで勝者という価値があるのは一人ないし1チームであり、
オリンピックに出場する価値があるのはメダリストだけであり、
横浜DeNAは価値がないということですが。
この社会に満足という言葉は存在しえないのではないでしょうか。
この結果至上主義が
無力感、頽廃空虚、無気力、無関心を生むんでしょうよ。
目標を達成するために努力することと
達成という結果を得ることとは
根本的に別次元なので。
努力しつづけることに意味があるんです。
そういうことなんです。