若いAさんが言いました。

「電車が遅延したから遅刻しました。
 遅延証明書があります。
 ですからこれは「正当な遅刻」であり、
 私は責められない「権利」があります。」

たしかにそうですね。
誰かがそれを執拗に責め立てるのもおかしいですね。

しかし、私は思います。
電車が3~4時間も運転見合わせしていたならわかりますがね。
5~10分ごときの交通機関の遅延で遅刻すること自体が問題があるんです。
「だったらもうちょっと早くスタートしようよ」って思うわけです。
まあ、あえて強要はしませんがね。

できれば社会全体ひとりひとりが
そういう感覚を持ってほしいと思っています。

行動というものは何事にも影響します。
この人は事あるごとに、自分の外に原因を見つけ出しては
こう言うのでしょう。

「誰々がこうしてくれなかったから」
「世の中がこうだから」
「時間がないから」

しかし誰か/何かのせいにしても「マイナス」は消えないわけです。
遅刻という結果のインパクトは相手や周囲に対して残るわけです。


コメント

わたし
わたし
2014年7月10日9:49

その若い人に電車に乗る以上5分10分の遅刻は避けられないわけで、それ位の余裕を持って行動するべきだと教えてあげればいいのに。

nophoto
通りすがり
2014年7月10日12:00

言いたいことはわかるけど
5分10分の遅れがその後の乗り継ぎで20分30分になることもありえる
私は都会から田舎に通勤しているので電車が10分遅れたら市営バスを1時間待たなくてはいけない。
もう遅延証すら貰わなくなりました。

その人には一言謝ってから遅延証だすべきですよね。
それだけでイメージが全然ちがうのに

ながながとすいませんでした。

マサムネ
2014年7月10日13:06

ま、同じ会社でも上司、総務のさじ加減だったりするわけで、電車が止まった時点で電話して「遅延証明書いりますか?」と確認してま、自分が悪くなくても「遅れましたスイマセン」と言えばいいんじゃないかな?と思います。 学校にかよっていた頃、都内のラッシュを避けるのに一時間くらい早く教室についてお茶飲んだり学校の近所を散歩したりしてました。あれはあれでとっても贅沢な時間なのだなと年を取ってから思いましたね。 一人の責任が重い個人事業主と違って会社員は一人のちょっとの間の欠なんてすぐに取り戻せると思います。誰かが同じように遅刻したらみんながちょっとずつ助けてあげればいいんですからね。

きんぐ侍
2014年7月10日21:33

わたしさん
この本文のテーマは何だと思います?

それは「相手への思いやり」です。

正しいことを正しいと述べることがいつも正しいとは限らない。
ケースバイケースですね。
この本文だけでは「教えてあげればいい」かどうかまでは判断できないのでは?
アドバイスはタイミングとハートです。つまり相手への思いやりです。

相手への思いやりを持てば、
若いAさんや通りすがりさんの通勤の大変さに共感したり、
マサムネさんのように周囲が見える人になれますよ。

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