こと「食」に関していえば、強運の持ち主なのかもしれない。
「空腹だけど食べるものがなかった」なんていう記憶がない。
この時代にはよくある事なのかもしれないが、
うちはそうじゃなかった。
小学校3年のときに親が離婚。
母親ひとりで男の子ばかり3人の子供を全員引き取った。
母親は必死に働いた。帰りが遅くなることもあった。
金が尽きることも あった。何度もあった。
電気やガスを止められるなんて日常茶飯事だった。
しかし晩飯にありつけないなんて事は1度もなかったんだよ。
金がないときのメシは母親の分を全部くれてたんだよなぁ。
「お母さんはお腹すいてないから」とか
「お母さんは外で食べてきたから」とか
「お母さんはいつも外でおいしいもの食べてるんだから」とか
全部ウソだと、子供でもわかった。
離婚のプライドと責任を感じていたんだろうし、何より子供を愛してた。
そして
母親の帰りが夜遅くなったとき
それでも俺たち子供は実は温かい晩メシが食えた。
ある日よりオッサンが住み着くようになったからだ。
オッサンはダンプカーで土を運ぶ仕事をしていた。
そういう仕事は朝が早く始まり、
早く現場に着いて積荷をすれば、夕方頃には終わる。
夕方4時ごろには帰ってくる。
そのオッサンは、どうしようもなく馬鹿で短気でいつも不機嫌で、
子供になつかれようともしなかったし、
子供もなつくことはなかった。
そしてこのオッサンはその夕方の帰宅直後が一番、機嫌が悪い。
何をするにもいちいち大きな音を立てる。
ふすまを開ける勢いと音はいまでもトラウマとしか言いようがない。
俺たちは怯えていた。
ファミコンしてたらそのファミコンを蹴り飛ばされるので、夕方にはやめて片づける。
オッサンの帰宅時のインパクトを回避できる術は3つしかない。
1.おもちゃや漫画を片づけて隅っこのほうでおとなしくしている。
2.布団を引き、もぐりこんで寝たふりをする。
3.3時頃から外へ出かけておく。
直接的な暴行による虐待はほぼ無かった。
子供に手を出したら終わりだと何度も母に言われていたようだ。
なんでこんなオッサンが家にいるのかわからなかったが今はわかる。
「子供がお腹を空かせないように」
これが離婚時に子供を引き取る覚悟を決めた母の最大最後の願いだったんだ。
オッサンは毎日必ずメシを作ってくれた。
どんなに疲れてても。
どんな日でも。
レパートリーはそんなにない。
カレー、ハヤシライス、親子丼、他人丼、お好み焼き。
最初はそんなもんだったと思う。
米は朝に水につけておき、
夕方に炊くので炊き立てアツアツ。
おかずも作り立て。
何があろうとも作り終えた直後瞬間に全員集まって食わないとブチ切れられるので
速攻で食べる。
そして必ず「うまいか」と聞いてくるが「おいしい」と返す以外に選択肢はない。
たしかにこだわって作っているっぽかったけど、
「作った直後すぎて熱すぎて味なんてわかんねぇよ。」といつも思ってた。
でも今はわかる。
熱くて最高に旨かった。
旨かったよ。
男子を育てるにはそれでいい。
食わしてやるだけで、それでいいんだ。
-----------
クソお世話になりました!この御恩は一生忘れません!!
漫画「ワンピース」のサンジのこの台詞。
今でも涙が止まらない。
アニメでは別途ストーリーに変更されてたが、
原作ではサンジに食料すべてを渡して自分の足を食ったゼフ。
食に対する恩。
アニメや原作を見た人も多いだろうけれど、
そういう人も是非、今一度、下の動画を見てほしい。
アニメ版ストーリー↓(YouTube)
http://youtu.be/hzBErjEGVRo
別れ際の名言↓(同じくYouTube)
http://youtu.be/43N3OErXKJU
------------
最終的には二十歳ぐらいのときに
俺がこのオッサンを追い出した形になった。
この人とまた関係を持つことはたぶん無いだろう。
性格もさることながらギャンブルや金銭面なども問題が多すぎて、
とても妻の身内に合わせれない。
恩返しは直接は出来ないだろう。
まあ出来たとしても返しきれるもんでもないが。
そして、自分で追い出しといてなおそれでも
言うのだけれど
クソお世話になりました。
この御恩は一生忘れません。
僕らはソクセキ麺やジャンクフードなんかで育ったわけじゃない。
あなたの作ってくれた親子丼は
熱くてたまらなくて本当に旨かったです。
本当に、本当に・・・・ありがとうございました・・・。
「空腹だけど食べるものがなかった」なんていう記憶がない。
この時代にはよくある事なのかもしれないが、
うちはそうじゃなかった。
小学校3年のときに親が離婚。
母親ひとりで男の子ばかり3人の子供を全員引き取った。
母親は必死に働いた。帰りが遅くなることもあった。
金が尽きることも あった。何度もあった。
電気やガスを止められるなんて日常茶飯事だった。
しかし晩飯にありつけないなんて事は1度もなかったんだよ。
金がないときのメシは母親の分を全部くれてたんだよなぁ。
「お母さんはお腹すいてないから」とか
「お母さんは外で食べてきたから」とか
「お母さんはいつも外でおいしいもの食べてるんだから」とか
全部ウソだと、子供でもわかった。
離婚のプライドと責任を感じていたんだろうし、何より子供を愛してた。
そして
母親の帰りが夜遅くなったとき
それでも俺たち子供は実は温かい晩メシが食えた。
ある日よりオッサンが住み着くようになったからだ。
オッサンはダンプカーで土を運ぶ仕事をしていた。
そういう仕事は朝が早く始まり、
早く現場に着いて積荷をすれば、夕方頃には終わる。
夕方4時ごろには帰ってくる。
そのオッサンは、どうしようもなく馬鹿で短気でいつも不機嫌で、
子供になつかれようともしなかったし、
子供もなつくことはなかった。
そしてこのオッサンはその夕方の帰宅直後が一番、機嫌が悪い。
何をするにもいちいち大きな音を立てる。
ふすまを開ける勢いと音はいまでもトラウマとしか言いようがない。
俺たちは怯えていた。
ファミコンしてたらそのファミコンを蹴り飛ばされるので、夕方にはやめて片づける。
オッサンの帰宅時のインパクトを回避できる術は3つしかない。
1.おもちゃや漫画を片づけて隅っこのほうでおとなしくしている。
2.布団を引き、もぐりこんで寝たふりをする。
3.3時頃から外へ出かけておく。
直接的な暴行による虐待はほぼ無かった。
子供に手を出したら終わりだと何度も母に言われていたようだ。
なんでこんなオッサンが家にいるのかわからなかったが今はわかる。
「子供がお腹を空かせないように」
これが離婚時に子供を引き取る覚悟を決めた母の最大最後の願いだったんだ。
オッサンは毎日必ずメシを作ってくれた。
どんなに疲れてても。
どんな日でも。
レパートリーはそんなにない。
カレー、ハヤシライス、親子丼、他人丼、お好み焼き。
最初はそんなもんだったと思う。
米は朝に水につけておき、
夕方に炊くので炊き立てアツアツ。
おかずも作り立て。
何があろうとも作り終えた直後瞬間に全員集まって食わないとブチ切れられるので
速攻で食べる。
そして必ず「うまいか」と聞いてくるが「おいしい」と返す以外に選択肢はない。
たしかにこだわって作っているっぽかったけど、
「作った直後すぎて熱すぎて味なんてわかんねぇよ。」といつも思ってた。
でも今はわかる。
熱くて最高に旨かった。
旨かったよ。
男子を育てるにはそれでいい。
食わしてやるだけで、それでいいんだ。
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クソお世話になりました!この御恩は一生忘れません!!
漫画「ワンピース」のサンジのこの台詞。
今でも涙が止まらない。
アニメでは別途ストーリーに変更されてたが、
原作ではサンジに食料すべてを渡して自分の足を食ったゼフ。
食に対する恩。
アニメや原作を見た人も多いだろうけれど、
そういう人も是非、今一度、下の動画を見てほしい。
アニメ版ストーリー↓(YouTube)
http://youtu.be/hzBErjEGVRo
別れ際の名言↓(同じくYouTube)
http://youtu.be/43N3OErXKJU
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最終的には二十歳ぐらいのときに
俺がこのオッサンを追い出した形になった。
この人とまた関係を持つことはたぶん無いだろう。
性格もさることながらギャンブルや金銭面なども問題が多すぎて、
とても妻の身内に合わせれない。
恩返しは直接は出来ないだろう。
まあ出来たとしても返しきれるもんでもないが。
そして、自分で追い出しといてなおそれでも
言うのだけれど
クソお世話になりました。
この御恩は一生忘れません。
僕らはソクセキ麺やジャンクフードなんかで育ったわけじゃない。
あなたの作ってくれた親子丼は
熱くてたまらなくて本当に旨かったです。
本当に、本当に・・・・ありがとうございました・・・。
コメント
マサムネさんにはご理解いただいているようですが、
他に気分を害する方が今後いらっしゃる可能性があるので少し補足させていただきます。
実際にはマクドナルドも沢山食べたし、
家族としての思い出も沢山あって好きです。
ソクセキ麺にいたってはもっと小さい頃からよく食べていて、
あまりに大好きだったので
今でも一番好きなラーメンの味は「サッポロ一番 しょうゆ味」だったりします。
「ソクセキ麺やジャンクフードなんかで」っていう表現は
「ほっとかれたわけじゃない」という事を言いたかっただけでした。
気分を害された方がいらっしゃいましたら申し訳ございません。(ノ∀`)