信じるとは

2005年9月25日 エッセイ
「信じる」という行為の対象が
「正しい」か「間違っている」かは関係がないんです。

たとえば、間違っていたとして
まだなお信じ続けていけるのであれば

「だまされた」にはならない。

言ってることわかるかな?

信じる動機づけに、確証など

本当はいらないし


本当はそんなもの存在しない。

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